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現在

私たち家族3人は妻の実家がある奈良に避難しております。

両親、レビは埼玉の親戚の家に

弟は昨日の話だと福井あたりを移動しているようです。

皆様には大変ご心配をおかけしました。

励ましのお電話などたくさんいただきました。

感謝です。





自分自身この日のことを忘れないように

記憶しているままに書きます。


3月11日


朝8時過ぎに娘と実家で父の店でもあるベアフットに出勤

この日の午前中

波は小さくベアフット前には

サーファーが数人



寒かったが娘と波チェックし

なぜか

その日は階段を下りて

娘と散歩がてら砂浜を散歩し

砂遊びを少々

寒い時期ということもあったが

こんなことは今までしたことがなかったのに。

娘は遊び疲れたのか抱っこしたら

そのまま昼寝

店に戻り

私はメール仕事をすませ

弟の耕平と世間話



その後

2時ころ昼寝から起きた娘を連れ

お弁当を買いにコープ亘理へ10分ほど車で移動

店に戻り

レンジでお弁当を温め

1口目を口に運ぼうとした瞬間

感じたことのない揺れに驚き

店内を歩き回っていた娘を確保し

スリッパのまま庭へでた。

今までに経験したことのない大揺れは続き

電柱、店の下敷きになることを恐れ

普段サーファーの皆様が利用している駐車場へスリッパのまま移動


すると道路に亀裂がはいり

また至る所から水が噴き出した・・・・

液状化がはじまり

今まで目にしたことのない

異常な光景が目の前に広がった。

店に戻り玄関、車の鍵をとり長靴を履き

車の確保

店は数日前から水洗トイレ工事がスタートしたばかりで

作業員2人が工事中でした。

作業員の方は事態を把握できていないので

急いで車に乗せて逃げようとしたが


近所の方が

もう1台の車を高い所へ移動させなさいと・・・と制止された。

正直な話

車はどうでもよかった。

しかしモタモタしていると危険なので

とりあえず娘は

耕平に預け先に移動させた。

すぐに合流すればよいと思ったからだ

まずは中学校に避難を指示した。



この時

耕平は直感的に

もっと土地が高いほうがよいと判断し

亘理方面へ逃げてくれた。

中学校入口で

海と中学校は近すぎると感じたようだ。
(店から中学校までは車で5,6分くらいの距離)


弟は状況判断が的確で冷静に対応してくれた。

自分では冷静に考えていたつもりだが

より耕平のほうが

さらに先の先を読んでいたようだ。


一方私たちは

液状化のど真ん中にはまりスタック

トラックで牽引してもらい脱出したが道には亀裂が広がり

重い車で車内に閉じ込められたら危険だと感じた。



その時

となりの家を見ると

おばあちゃんが縁側に硬直しているのが見えた。

聞くと1人で留守番していたみたいだ

急いで

連れ出そうとしたがおばあちゃんは恐怖で体が動かないという

おんぶで連れ出し外へ出ると

近所の方の車と軽トラに便乗させてもらった。



とりあえず

荒浜中学校を目指し移動

しかし

娘たちの乗っていた車は見当たらない・・・

小学校へ移動したがここにも車は見当たらない。


仕方がない

校庭では

隣町でサーフショップを経営している

高城さんの姿を発見し情報交換し

すぐ校舎の上った。

すると

川は見たことのない水位まで上昇し

川にはブレイクするはずのない波が・・・・

とりあえずツイッターに無事なことを書き込みをした。


そのうち

外からいろんな異様な音が聞こえ

やがて校内の至るところから

悲鳴が聞こえた

校舎の反対側に移動し校庭を見ると津波で家やら車がなぎ倒されていた。

異様な光景に

自分を落ち着かせようとしたが

娘の顔、耕平の顔が浮かび

離れたこと悔んだ。

不安は増す一方だった。



津波に押し流され破壊された多くの家、車の残骸・・・

津波に加え

この時期の水温を考えただけでも恐ろしい。


津波により道はふさがれ

胸下くらいまで水位があり身動きが取れずといった状況

当初は体育館が避難スペースとして開放されたが

まず最初に津波により浸水した。

校舎しか使えないので

教室の椅子、テーブルを廊下へ運び出し

体育館の倉庫にストックされた

毛布、敷布団、体操用のマットなど使えそうなもの男性陣で運び出した。


その時

外から1人の20代後半の男性に呼ばれた

この寒さの中

ずぶ濡れに裸足・・・

聞くと学校の向かいの元銀行裏に

彼のお母さんと、おじいちゃんが逃げ遅れて車の屋根に取り残されていると

おじいちゃんは足が不自由で歩けない状況の中

寒さと恐怖で震えていた。


急いで近くにいた3人に協力してもらい救助へ

おじいちゃんが暖をとっていた敷き布団をタンカー代わりに応用しなんとか運び出した。


常々

親父からこういった救助する状況になった時は

2次災害に気をつけることを

何度も教えられていたので注意深く行動できたと思う。

最後に私は

左足が溝にはまりびしょ濡れになったが幸いケガはなかった。



この時は

知人も全く面識のない人も関係なく皆で協力しあい支えあうことができたと思う。



やがて雪もまじりながら日は暮れた。

階段を登ると

町ごとにわけられていることを聞き

私の実家がある5丁目の教室を発見

しかしもう人がいっぱいで入り込む隙間がほぼない

廊下に自分のスペースを確保しようとしていたら

運よくご近所さんで

古くから当店のお客様の俊幸君が貴重なスペースをシェアしてくれた。

聞くと俊幸君も娘さんと連絡とれないという。

不安でしょうがない状況だったが知り合いと

一緒にいろいろと話をすることで気が紛れた。


暗く寒い教室で

暖をとるものは唯一毛布だったが全員分があるわけはなく

使えるものは子供、老人が当然優先

水道も止まり

食料も当然なし



唯一ゴミ袋が余っていたので

私はその中に両足を突っ込み

上からゴミ袋をかぶり

店を飛び出すときに何かと使えると感じ持っていたタオルにくるまり

黒板側の壁によりかかり体育座りをしたり

ピアノの下へ体を伸ばし九の字になりながら寝た


真っ暗な各教室に住民が寄り添うように

子供からご老人が不安な夜を過ごした。

この時学校に避難していた正確な数は?だが

私のいた教室は130名ほどいた


携帯電話の回線はパンクしているのか全く使えない

携帯をいじればいじるほどバッテリーだけがドンドン減っていく



何気なく

ツイッターをみると機能している

早速

私の状況を書き込み妻と連絡がとれた

そのうち

島根に営業にでていた

プロサーファーの佐藤千尋くん

4☆のリョウジくん

ベアフットの長沼さんが

ツイッターや耕平に連絡をしてくれて

的確に情報を伝えてくれた。

特に西日本からの電話は繋がりやすかったようだ。

この方たちが迅速に動いてくれたおかげで

妻と娘はその日の20時ころには会うことができた。

千尋くん、リョウジくん、長沼さんのおかげである

感謝の気持でいっぱいです。




私は学校内で

寒さと不安の中で

寝ては

目が覚めるを繰り返し

朝を迎えた。

外を見るとだいぶ水位は下がったように見えた。

不思議なもので空腹であったが妙に動けた

落ち着かず校舎の屋上から店を探すが見渡す限り何もない・・・



すると何人かのサーファーと会うことができた。

ここでも昨日の出来事や世間話、仲間の安否など情報交換した。

この時裸足だった自分の足を見てテッペイは予備の靴下をくれた。

前日テッペイも裸足で知人からいただいたと言っていた。

その靴下で体温がかなり上がった。




非難していた学校に待ちに待った物資が届いた。

おにぎりと菓子パンがあり迷わず甘い菓子パンを選び

約1日ぶりに水分を補給できた。



パンを食べながら

かなり悩んだ

歩いて名取へ帰るか

ここ避難場所にいるべきか・・・


まだ津波警報が解除されていないので多くの人にここにいるべきと言われた。

そのころには携帯のバッテリーも切れ

家族がどのような状況かわからず不安は増すばかり


海、川の動きを観察し歩いて帰ることを決意した。

堤防を上り

岩沼方面を目指し

鉄製の棒を拾い持ち歩き始めた。

歩きながら

見れば見るほど地元は変わり果て

無残な光景が広がっていた。



津波の大きさが尋常ではないことが

その光景から十分すぎるほど伝わり気がつくと

私は溜息ばかり・・・・




まずは岩沼を目指し歩いた。

6号に分岐するあたりから

町は綺麗に見えたが

信号は消え、店は閉まり

普段より

人々は徒歩、自転車で移動しているように見えた。



なぜGSがクローズなのかその時点では?だった。



無我夢中で4時間ほど歩き

家に戻ると鍵は開きっぱなし

室内は電化製品が倒れあらゆるものが散乱

誰もいない・・・・



しかしよく考えると

家の前の同和警備さんに避難していると

妻がツイッターに書き込んであったことを思い出した。

階段を下り同和警備さんへ急いだ


同和警備さんの入口でちょうど妻と娘がでてきた。

2人の顔を見たら涙があふれ出した。

とても安心した。





あの日のことは

ほんと忘れてはいけない出来事だ。

各地でサーフィンを通じ

旅でいろいろと経験し

最高と感じる経験

恐怖を感じる経験を海から学んだおかげで

今回の地震は異常な事態と直感し行動できたと思う。

あの日地球が激怒しているように私は感じた。

あの状況で生かされたことに感謝し

これから頑張っていきたいと思います。

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前山さんのFACEBOOKから上の写真をいただきました。

ベアフットサーフは多分全壊しました。

当店を愛用していただいた

多くの皆様本当にありがとうございました。

また荒浜で皆様と笑顔で再会できたらと思います。

その時が来たら

どうぞ宜しくお願い致します。


今もなお多くの友人、知人が復興にむけて尽力されています。

ありがとうございます。



これから自分にできること考えていきたいと思います。

いつか海に帰れる日を楽しみに頑張ろうと思います。


お世話になった皆様、同和警備さんありがとうございました。


越後将平
by barefoot-s | 2011-03-18 15:57 | ベアフットサーフ
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